第二章

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　墜落2


 　何か冷たく軟らかいものが、頬に触れるのを感じてマインが気がついた。それは、暗闇
 の中で見えなかったがマインにはマップの舌であることがわかる。右手を動かしてマップ
 に触ろうとしたが、肩から肘にかけて激痛が走り動かない。左手は、マイン自身の体とト
 レーラーのドアに挟まれている。明りのない車内の中でマインは懸命に状況を把握しよう
 としていた。
 　左手に力を入れて動かし、ドアの解放レバーを操作したが全くドアは動かなかった。次
 に上体をひねりシートの背の部分に左手をかけて足をドアに乗せ力を入れてみたが、ドア
 が開かずに体が起き上がった。そこで、やっとトレーラーが横になっていることに気がつ
 いた。

 「エンダー、助けて。エンダー。」
 　大声で叫んだがエンダーの声は返ってこなかった。そのとき、足もとに何かあることに
 気が付いて足で探ると、それは円筒型の携帯用ライトだった。痛む体を曲げて左手でそれ
 を掴みスイッチを押した。ライトで車内を照らすとフロントグラスの外には砂しか見え
 ず、埋ってしまったことが分かった。そして、頭の上にあるドアを見たが、そこも砂に埋
 もれていた。
 「なんてことなの、エンダー聞こえる。」
 　やはりエンダーの返事はなかった。
 「こうなったら自力で出るしかないわね。マップ、どこにいるの。」
 　マインの頭の上で金属を爪でこする音がする。その方向にライトを向けると、そこでは
 運転部と居住部を繋ぐドアをマップが引っ掻いていた。
 　　マインは、懸命にシートの背を乗り越え後部にあるドアにたどり着き、マップをドア
 から離してドアに手を当てると、かすかに空気の流れを感じる。だが、ドアのノブは上の
 ほうにあり背伸びをしても届かない。マインは、腹立ちまぎれに左手でドアを叩くと、ド
 アは外側に向かって鈍い音を立てて開いた。

 　まず、マップを外に出し、ライトの手提げベルトを口にくわえ、足でシートを蹴りなが
 らドアから上半身を出した。さらに、シートを足で蹴ると頭を下にして砂の上に転がっ
 た。しばらく、衝撃と激痛で動けなかったが、痛みが治まりライトで周りを照らすと、そ
 こは洞窟の中でトレーラーが入り口を塞ぐように横倒しになっていた。
 「マップ、どこにいったの。」
 　マインが、洞窟の奥を照らすとマップが振り向きながら歩いている。マインは、立ち上
 がり、痛む体を引きずってマップを追いかけて歩き出した。少し進むと、マップが立ち止
 まりマインを待っている。マップに追いついたマインの目に映ったのは、石でできた階段
 だった。マップは、その階段を降りていく。

 「待ってよ。どこまで行くの。」
 　マインの声をよそにマップは、階段を降り続ける。マインは、しかたなくマップについ
 て降りて行くと、やがて階段は踊り場になり方向を換えた。さらに階段が続く、三度の方
 向転換のあと階段は終わりマップも立ち止まった。マインが、マップの傍に来て抱き上げ
 る。

 「ここで終わりなのマップ。」
 　ライトで辺りを照らすと、そこに見えたのは、中央に人工の池がある円形の広場のよう
 だった。マインは、池に歩いて行き水を手ですくってマップに聞いた。

 「この水、飲めるの。マップ、あんた知ってたんでしょう。ここに水があるのを。」
 　マップは、マインの手から水を美味しそうに飲み、今まで誰も聞いたことがない鳴き声
 を発した。その音は、周りの壁に反響して響き、マインは顔をしかめた。
 　その声が終わると、ひたひたと足音が聞こえてくる。その音の方向にライトを向ける
 と、そこにはバグノラーが数匹近寄って来るのが見えた。

 　バグノラーがマインの足元に集まって来たので、マインはマップを床に降ろしてやっ
 た。そして、自分もバグノラーの中に座り込み、池から水をすくって飲み、腹ばいになっ
 て痛む右腕を池につけて冷やした。
 　腕の炎症は、水につけると少し楽になり、そのまま仰向けになって腕をつけたまま目を
 とじた。じっとしているとマップが顔のあたりを鼻でつついてきたので、左手でマップを
 追い払おうとしたとき、マップの首に付けてある玩具が手に触れた。

 　地下から電波が届くかどうか分からないが、マインが玩具の電話機のスイッチを入れる
 と発信音が聞こえてきたが、相手はなかなか出てくれない。
 「やっぱり無理ね。こんな玩具じゃ。」
 　マインがマップに向かって言ったとき、玩具から声が聞こえた。

 「マイン、マインだね。聞こえるかい。」
 　オンザの声だった。
 「オンザね、聞こえるわよ。どこにいるの。」
 「そのまま動くな。こっちから行くから、わかったかい。」
 「ええ、でもここは地下よ。トレーラーが埋ってしまって。」
 「なに、埋った。」
 「でも、水もあるし、それにバグノラーがたくさんいるから、心配しないで簡単には死な
 ないわよ。」

 　オンザの声を聞いて少し余裕ができたマインは、円形の壁をライトで照らしてみようと
 して立ち上がった。マインが降りてきた階段から順に壁に沿ってライトをあててみると、
 半円型の窓が等間隔であったが、どの窓も真っ暗で向こうがなにも見えなかった。そし
 て、マインが降りてきた階段の反対側には、人が楽に通れそうな四角い口が開いていた。
 マインは、マップの首から玩具を外して自分の腕に取り付けて言った。

 「オンザ、聞いてる。そこに、ライオス先生は、いるの。」
 「いるよ、どうかしたのか。」
 　と、オンザ。
 「先生に言って、まだ先になにかあるって。これから、行ってみるから。」

 「マイン、まだ動くな。もうすぐ救助隊が着くから。」
 「もうすぐ来るのなら心配ないわね。ついてきてね。じゃ、行くから。」
 　マインが四角い入り口に向かって歩きだすと、マップがマインを先導するように先に立
 って歩き出した。先に入り口に到達したマップの姿が不意に消えてしまった。
 　マインが入り口にたどりつくと、そこには下に行くための階段があり、少し先にマップ
 が降りている姿が明りに映し出された。マインが降りて行くと踊り場に着き、階段が方向
 をかえている。さらに階段を降りようと向きをかえたとき、壁がライトの光を反射した。
 　マインがその壁に近づき手を伸ばしてみると、冷たくて堅い感触があり、手でこすると
 埃の中からガラスのような物が現われた。さらに埃を払い除けると、そこから人の顔の絵
 が出てきた。

 　その絵に描かれていたのは、マインと同じ年頃の女性が夜の海と夜空を背景に青いドレ
 スの上に赤いマントを羽織って立っている。顔は横を向いて後ろを振り向こうとしてい
 る。打ち寄せる波は、ドレスの裾を濡らしていて、背景の夜空には、今まで見たことがな
 い星があり、その星の青い光りが女性の髪を青く染めている。
 　その絵に見とれていると、マップの声が聞こえたので、さらに階段を降りて行った。次
 の踊り場に差し掛かると、下のほうから淡い光りが階段を照らしている。マインは、少し
 急いで階段を降りようとして足を踏み外し、階段を転がり落ちた。階段の下まで落ちたマ
 インの目に映ったのは、薄暗くて長いトンネルだった。アーチ型の天井には、細長い照明
 機具がいくつもあり、遠くまで続いている。

 　トンネルの床は、埃が積もっているが、足に堅い感触があり、砂でも土でもない磨かれ
 た石のようだった。その広い床には、小さな足跡があり、それはバグノラーがここをよく
 通っていることを物語っている。
 　マインが出てきた入り口は、トンネルの端ではなく左右に伸びる回廊の中央だった。ど
 ちらに行くか思案していると、マップが片方の奥に向かって走りだし、マインもその後を
 追いかけたが、負傷している右腕が痛み歩くのがやっとで、マップの姿を見失ってしまっ
 た。
 ゆっくりと奥に進みながらトンネルの壁を観察すると、意味不明の記号が色あせたタイル
 で書かれている。その記号の中には、出口を表わす絵のようなものもあり、このトンネル
 がどこかに通じていることが読み取れる。さらに歩いて行くとトンネルは、壁につきあた
 り、左右に大きな横開きの扉があり、その片方の扉が左右に少し開いていて、その奥が真
 っ暗であることが分かる。すき間にライトを当ててみると、マップがこちらを向いて待っ
 ている。
 　マインは、すき間に体を入れようとしたが、足を入れるのが精一杯だったので、左手で
 扉を押してみたが全く動かなかった。次に足で扉を押してみたが、これもうまくいかず、
 力尽きてその場に座り込んでしまった。自分の非力さと体の痛みで、腹立ち紛れに力いっ
 ぱい扉を蹴ったが、まるで岩盤のように動かなかった。

 「マップ、ここまでね。後は、オンザや先生が来るまで待つしかないわ。」
 　そう言うと、今来たトンネルの天井を見上げた。
 「ねえマップ、この灯りの電源はなんなの。どこから来ているのかしら、まさか町から電
 線を引いているわけないよね。」
 　マインの呼びかけにマップは、扉から出てきてマインの膝の上に乗り鼻をすり寄せてき
 た。そのとき、誰かがマインを呼んだ。その声は、トンネルに反響し大きく響き、それに
 マップが先に反応して、もと来た方向に走っていった。

 「マイン、どこだ。」
 　オンザの声だ。マインは、立ち上がって叫ぶ。

 「こっちよ、今マップがそっちに行ったわ。」
 　入り口から、数人の人影がマインのいる所に向かって歩いてくる。ライオスとオンザ
 は、遠くにいても見分けがついたが、あとの二人は分からなかった。その四人を引き連れ
 てマップが、こちらに向かってくる。オンザとライオス、そのあとに長身の若い男性と黒
 い鞄を持った女性がつづく。マインが立ち上がって迎えようとすると、鞄を持った女性が
 かけより。
 「そのまま動かないで、座って。」
 　と、言ってマインを寝かせ鞄から白い布を出して肘から肩にかけ、そして首に廻して頭
 の後ろで結んで言った。

 「肩の筋肉に亀裂が入っているようね。骨折はしていないわ。でも、動かさないほうがい
 いから。」
 　オンザは、マインの横にしゃがみ持ってきた水筒の蓋を取り、そこに水を注ぎマインに
 渡しながら言った。
 「マイン、エンダーだ。」
 　長身の男性が、マインの傍に来て言った。

 「もうしわけない、こんなことになるなんて。」
 　マインは、エンダーの方を見て笑顔で言った。
 「実際に会うのは、これが初めてね。声だけだったもの今まで。オンザの息子だから、も
 っと怖い顔かと思ってたけど、まあ合格ね。許すわ。」
 　エンダーは、マインの手を取り、

 「君の活躍で、一人の命が助かったよ。もう少し遅ければ命がなかった。ありがとう、み
 んな感謝している。」
 「一人って、もう一人はどうしたの。」
 　エンダーは、下を向いて首を横に振った。
 　オンザ、エンダー、医師がマインを見ているあいだ、ライオスは扉を観察していた。
 「エンダー、ちょっと来てくれ。」
 　ライオスに言われたエンダーは、立ち上がり扉に近づいた。

 「ライオス先生、なんでしょうか。」

 　ライオスは、扉に手をかけて言った。

 「二人で開けてみよう。いいか、いくぞ。」
 　ライオスの号令でエンダーは、力一杯扉を押した。しばらく力を入れても動かなかった
 が、何度かやるうちに鈍い音がして少し開いた。その瞬間、エンダーが広がった隙間に肩
 を入れ、両手と方足で扉を押した。
 　扉は金属のローラーが動く音がして一気に壁に吸い込まれていった。エンダーは、腰の
 ベルトからライトを抜き中を照らした。暗闇の中から浮かび上がったのは、無数のバグノ
 ラーの姿だった。
 　エンダーが中に入ってもバグノラーの群れは、マップがいるせいかまったく人間を見て
 も驚くようすはなかった。エンダーの後にライオスが入って来て言った。

 「もっと奥に入ってみよう、まだ何かありそうだ。」
 　エンダーは、バグノラーを踏まないように足元を気にしながら奥へと進んで行った。ラ
 イオスは、エンダーの後ろから歩きながら、自分のライトを出して壁を照らした。そこに
 は、壁沿いに床から天井にかけて緑の森を思わせる壁画があり、色あせているが絵が描か
 れた当時の壮観なようすを連想させる。
 　天井を見上げると、トンネルのアーチ型天井ではなく、飛び上がれば手が届きそうな高
 さの平らな天井で照明らしいものはなく、ライトの光りを反射している。

 「エンダー、ここの天井は光りを反射するぞ。」
 　と、ライオスが言うとエンダーも上を見上げて言った。
 「鏡でも金属製でもなさそうですね。」
 　エンダーが、天井に向かって飛び上がって触ると堅く高い音がした。
 「先生、不透明なガラスのようです。」
 「全面ガラスなのか、こんなものを誰が作ったんだろう。まさか、天井全体が照明器具っ
 てことないよな。」
 　エンダーは、この部屋を一回りライトで照らして言った。
 「向こうに扉が有りますよ。ここは、格納庫じゃないですか。それとも駐車場かもしれな
 い。」
 「さっきのトンネルは、地下高速道路か。もっとよく調べればわかるかもしれない。」
 　そしてライオスは、エンダーの先に立って歩いて行った。もう一つの扉は、人が一人通
 れるほどの大きさで、入って来た扉と同じ要領で開けようとしたが、まったく動かなかっ
 た。ライオスは、マインたちを振り返って言った。

 「ここまで来て引き返すのも残念だが、マインの怪我も心配だから帰って器材を持って出
 直すか。」
 「先生、この扉は押せば開くんじゃないですか。」

 エンダーが扉を両手で押すと、鈍い金属音をたてて扉が開いた。
 「なるほど、やってみれば簡単なことだったな。」
 　ライオスが、そう言って扉の向こうに行こうとしたときオンザの声が聞こえた。
 「エンダー、マインを連れて帰るぞ。いつまで、ここにいる気だ。」
 　エンダーは、ライオスに言った。
 「今日は、帰りましょうか。」
 ライオスは、少し考えて言った。
 「私は、もう少し先まで行ってみる。」
 「でも、一人で大丈夫ですか。」

 「あとでリスタスに、ここでライオスが待っているって言ってくれ。」
 　エンダーは、自分のライトの電池を抜いてライオスに渡して言った。
 「わかりました。無理しないで下さい、なにかあれば…。」
 　ライオスは、エンダーの言葉をさえぎって、
 「ありがとう、もう行ってくれ。君だって仕事があるだろう、ここから先は私の専門だ。
 心配しないでいい。」