第二章
バグノラー2
「それでは、私は仕事に戻ります。どうぞ、ごゆっくり召し上がって下さい。」
そう言われたオンザは、マップを指差して聞いた。
「ああ、マップのことだけど、このまま部屋に放していてもかまわないのかね。」
リスタスは、オンザがなにを言いたいのか理解出来なくて首をかしげていた。そこで、オ
ンザが切り出した。
「そそうをしたら、どうするのかってことだ。つまり糞をするだろ、生き物なんだから。
砂漠なら心配しないが、レストランなんだから。」
「そうですね、しばらく動物を飼ってなかったもので。後で店の者に用意させましょう。
とりあえず、私の部屋ですから汚れてもけっこうです。」
そう言うと、リスタスは部屋を出て行った。
それから、オンザはマップと一緒に久しぶりのまともな食事を取り、満腹になるとマッ
プを抱いて窓の外を眺めていた。しばらくすると、店に入って来たときに迎えてくれた女
性が、両手でかかえないと持てないような籠を持って入って来た。
「お待たせしました、これをお使い下さい。」
女性は、そう言うとオンザに目もくれないで部屋を出ていってしまった。
その女性が、持って来た籠の外側は丈夫な樹脂製だったが、内側は柔らかい布が貼って
あり、その布はオンザが穴の入り口に使っているものと同じ材質でできていた。そして、
その中にちょうどマップが座れる大きさで、砂を敷き詰めた浅いバケツが入っていた。
そのバケツを籠の外に出すと、マップがオンザの手から離れてバケツに入ったとたん、
ようをたした。
「よしよし、良い子だ。今まで我慢してたのか、おまえには砂が必要だってことだな。や
はり砂漠に帰ったほうがいいか。」
マップが、ようをたし終わると、オンザは糞に砂をかけて、マップを籠に入れると部屋
を出でた。
オンザが、店を出ようとすると、リスタスが急いで駆けつけたので、オンザがリスタス
に言った。
「やはり砂漠にかえるよ、こいつは砂漠の住人だ。」
リスタスは、オンザの持っている籠をつかみ、
「私の話をろくに聞かないで帰るつもりですか。あなたは、私の家に来ると約束したじゃ
ありませんか。長く引き止めはしません、もうしばらく時間を下さい。お願いします。」
と、言って頭を深く下げた。
オンザは、籠をつかむリスタスの腕を払おうとしたが、彼の力が思いの他強いので、そ
の腕を籠から離すことが出来ずに、
「約束、そうだな。確かに、あんたの家に行くと言った。だが、いつ行くのかね。私一人
なら長く待たされても結構だが、マップは野生の動物だ。この人工的な建物の中に長くい
て、健康に影響が出ることも考えられる。」
オンザの気持ちが少し揺らいだのを感じて、リスタスは籠をつかむ力を抜いて言った。
「それなら、まず私の家に案内します。私の家には、ちょうどいい場所があります。信用
して下さい、バグノラーを傷つけることは一切いたしません。」
オンザは、二人のやり取りを見ている従業員たちを意識しながら、
「仕事は、どうするのかね。さっきから、この店の店員たちが見ているが、経営者が仕事
を放り出していいのかね。」
オンザに言われて振り向いたリスタスは、従業員が自分の指示を待っていることに気が
付きオンザに向かい、
「ああ、私の家の者をよこします。もう少し部屋で待っていて下さい。さあ、どうぞ。」
リスタスは、籠をつかんだ手を放し、オンザをもとの部屋に連れて行こうとしだが、オン
ザは動かず、
「いや、もうあの部屋は結構だ。あの部屋から見た街並みを散策したくなったのでね。あ
んたの仕事が終わるまでには、この店に帰って来る。約束は必ずまもる。」
リスタスは、少し間をおき胸の内ポケットから銀色のカードのような物を出し、オンザ
に渡して言った。
「これは私の父と母の写真を銀盤に加工したものです。あなたに預けます、あなたに対す
る私の信頼の証だと思って下さい。それでは、私の仕事が片付きしだいに連絡をしますか
ら、それまでゆっくり散策をして下さい。」
手渡されたカードは、一見すると銀盤に掘られたレリーフのように見える。だが、角度
をかえて見ると写真は消えてしまい、そしてリスタスの名が浮かび上がった。オンザは、
そのカードを見て聞いた。
「これは、どうやって作るのかね。焼き付けでもなさそうだ。」
「それは、ミリスタス社の新しい技術で、簡単には説明できません。まあ、その話しも後
でゆっくりしましょう。かなり興味を持たれたようですから。」
オンザは、そのカードを胸のポケットに入れながら言った。
「あんたは、バグノラーに興味がある。私は、カードの作りかたに興味がある。面白くな
りそうだ。」
そして、二人は互いの電話番号を教えあい再会を約束し、オンザはエレベーターへ、リ
スタスは仕事に戻った。
車に乗り込んだオンザは、籠からマップをだして助手席に座らせ、籠を後部座席に置く
ために振り向いた。そして、ネブ社で買った玩具を手に持って、玩具をマップに持たせる
ことを考えた。
「ちょっと苦しいかな、嫌ならやめるが。」
そう言いながら、玩具のバンドをマップの首に巻いたが、マップは嫌がる素振りも見せ
なかったので、首から玩具を外し自分の電話に会わせて再度マップの首に巻いた。そし
て、自分の電話から玩具に発信し、作動することを確かめた。
「よし、よし、これで迷子にならないな。とりあえず、あの男の家に行くまで、おまえ
を見失うわけには、いかないからな。話しが終わったら、じきに取ってやるから、しばら
く我慢してくれ。」
駐車場から道路に出ようとしたとき、人影が車の前に飛び出てきたので急ブレーキがか
かった、車の前に若い女性が立ちすくんでいた。オンザは、慌てて車を降り女性に声をか
けた。
「大丈夫かね、怪我は……。」
その女性は、砂漠でしばらく暮らしたオンザには、刺激的な服装で、それは短いパンツ
にタンクトップといった姿だった。女性は、オンザに向かって言った。
「怪我、してない。でも、よく止まったね。おじさん。年よりのくせに反射神経がいいん
だ。」
オンザは、衝突防止装置のことを言わずに
「いや、まあね。それより、こんな暑さの中で走っていたのかい。」
女性は、腕時計を見て
「走りたくて走ってるんじゃないの、おじさん、暇。」
「ああ、特に急ぎの用事はないが。」
「じゃ、学校まで送ってよ。」
そして、オンザの返事も待たずに女性は車の助手席側のドアを開けようとした。それを
見たオンザは、慌てて車に乗り込みマップを後ろの籠に移し、助手席のドアを開けて女性
を乗せた。そのとき、マップが籠から顔を出して女性の肩に触れたので、驚いた女性は振
り返ってマップを見て言った。
「なにこれ、かわいい。おじさんのペットなの、抱いてもいい。」
そう言ったときには、すでにその女性はマップに手を伸ばしていた。
「あっ、それは……。」
オンザが説明する間もなく、マップは女性の膝に座っていた。そして、女性はオンザに
命令した。
「出発、道は私が教えるから。とりあえず、左ね。」
オンザは、その女性の言う方向に車を向けて発進させた。しばらく、女性はオンザのこ
とを無視してマップと遊んでいたので、
「次は、いつ曲がるのかね。」
そう言われて前を見た女性は、前方を指差して、
「ほら、あの白い壁の家があるでしょ。そこを、右にまがれば、あとはまっすぐ行けば大
学に着くわ。」
「了解、それで、その、君は、なんの勉強をしているのかね。」
「考古学よ。あっ、そこ、ほら大学が。」
全前方には、低くて白い煉瓦に囲まれた大学の校舎が見えていた。その校舎は、緑の蔦
に覆われた古めかしい建物のようだだった。
「そのまま車で校舎のすぐ近くまで行ってよ。」
そう言われたオンザは、校舎の近くまで車を走らせ、入り口らしいドアの前で止めた。
女性は、マップを後ろの籠に戻すと
「ありがとう、私マインって言うの。おじさんの名前は。」
「ああ、オンザ。」
意外な質問に、それだけしか答えられなかったオンザに、マインは笑顔で言った。
「じゃ、行くね。時間ないから。」
そして、校舎の中に消えて行った。
オンザは、マインの行動に呆気に取られていたが、気を取り直して車を出そうとしたと
き、校舎の蔦の奥に人の顔が写っているのが見えた。初めは、窓の向こうに誰か居るよう
に思ったが、それは自分の顔だと気がつき、車を降りて校舎に近づいた。近くに寄ると蔦
が絡まっている壁は、金属のような光沢をしていた。そして、三階建ての校舎の屋根か
ら、たくさんロープが地面まで伸びていて、そのロープにそって水が流れている。
オンザが蔦を見ていると、後ろから男の声がした。
「何か、ようですか。」
振り向くと、細身で背が高い男性が立っていた。
「いや、この蔦を見ていただけです。」
「そうですか。では。」
その男性は、そっけなく言うと校舎に入ろうとした。そのとき、マップが車の窓から外
を見ていたのに気がついた男性は、窓に顔を寄せて言った。
「これは、どこかで見たような。あっ、そうだ。」
オンザは、男性の意外な言葉に驚いた。
「えっ、知っているのですか。」
「ええ、見たことがある。しかし、本物ではなく写真ですが。まさか本物に出会うとは。
あなたが、飼っているのですか。」
「そうです。と言いたいが、出会ったのは今朝のことだから。それに、これのことをよく
知らないのでね。」
男性は、手でオンザを校舎に招き入れる振りをして言った。
「それなら、どうか中に入って下さい。この学内の資料室に案内します。私の研究とも関
連がありそうですから、それを連れて入って下さい。」
「いいのかね、動物を持ち込んでも。」
「ここは、大学です。研究資料だと言えば、なんだってかまいません。さあ、どうぞ。貴
重な動物ですから、丁重にあつかいましょう。」
オンザはマップと一緒に男性に連れら校舎に入り、資料室に案内された。そこには、半
地下になっていて、天井近くの窓から蔦の葉のすき間を通した柔らかい日がさしていた。
机が二十ほど置いてあり、その全てにコンピューターの端末機が装備されていた。
その男性は、オンザを机の前に座らせると、
「使い方は、簡単です。音声に反応しますから、まず自分の名前を言って下さい。さあ、
どうぞ。」
オンザは、言われるままに、
「オンザだ。」
そして、男性は自分のパスワードを言って
「これで、使えます。ただし、時間に限りがあります。私は、講義がありますので、ここ
で待っていて下さい。もし、誰かが入って来たらライオス教授に頼まれた。と言って下さ
い。」
そう言うと、男性は部屋を出て行こうとしたので。
「ちょっと待て、こんな・・・・・・」
オンザが呼び止めようとしたが、振り向きもせずに出ていってしまった。一人残された
オンザは、マップに向かってつぶやいた。
「さて、困ったな。」
すると、人工的な声がした。
「質問の内容が不明です。」
その声は、端末機からだった。
「そうかい、機械が話相手か。」
「質問の内容が不明です。」
「わかったよ。それじゃ、バグノラーだ。」
「質問は、バグノラー。検索します。」
少し間があって、
「検索終了。音声で説明しますか。」
「ああ、やってくれ。」
オンザの声に端末機が反応してディスプレイに文字とマップによく似た動物の映像が浮か
び上がった。続いて、端末機がしゃべりだした。
「バグノラー、哺乳類。主に砂漠に生息している。生態は、ほとんどわかっていない。二
十年前にゲニム村の近くで発見されたのを最後に、人間の前に姿を現していない。」
端末機は、そこまで言うと黙ってしまった。
「なんだ、もう終わりか。」
「次の質問をどうぞ。」
オンザが、次の質問を言おうとしたとき部屋のドアが開いて、誰かが入って来たので、ド
アのほうを向いた。入って来たのは、オンザと同じ年頃の男性で、背は低いが大人物の印
象を与える体格をしていた。オンザは、さっき言われたことを思い出して
「あの、ライ･･・。」
その男は、オンザの言葉に付け加えた。
「ライオスでしょう。」
「ああ、そう、そうだライオス教授に頼まれてね。」
「私が、ライオスです。さっきの男は、助手です。」
そう言うとライオスは、マップに近寄り、
「ほう、本物だ。これをどうして貴方が、連れているんですか。」
オンザが、ライオスに今朝からの出来事を説明すると、
「そうですか、リスタスに会われましたか。彼らしい、いくつになっても性格は変わらな
い。私なら仕事も何も、こんな稀少な動物が見つかったんだ、投げ出してもかまわないと
思いますね。」
「リスタスをよく知っているのかね。」
「ええ、私の恩師の息子です。話を本題に戻しましょう。この資料室では、わからないこ
とを。」
オンザは、マップの頭をなでながら、
「これは、たんなる稀少動物ではなさそうだ。」
「そう、この砂漠に残る伝説にはバグノラーらしい動物が、よく出てきます。砂漠の旅人
が、水がなくなり死にそうになったとき、小さな動物が水のあるところに導いた。そし
て、そこに村を作り人間が増え、動物がいなくなった。」
そこで、言葉を切ったライオスは、資料室の奥にある本棚から古い書物をとりだし、そ
の本のページをめくりながら言った。
「今から七十年前にバグノラーの伝説に引かれた若い考古学者が、この砂漠に来て砂漠に
点在する村を回って伝説を拾い集めた。そして、その伝説の中には、水に導いたではな
く、水の都に導いた。と語っているものがあり、その学者は水の都を探すことに生涯をか
けた。」
そこで、オンザは胸のポケットから銀のカードを出し、
「その学者が、この人だね。」
「ほう、なんですか。」
ライオスは、カードを手に取り、
「そうです、この人です。リスタスの両親です。」
「それで、その都が見つかったのですか。」
「結論から言うと、だめでした。別の学説のために。当時、最高の権威を持った考古学者
は、水の都は砂漠にあるのではなく、現在この町に水を供給しているダム、あそこは昔か
ら町がありましたから、その町のことだ。と、結論づけしました。」
「それで、調査は終わりかね。」
「いえ、調査を打ち切ることになったとき、このタルバー市の計画が始まりました。現地
の作業員を教育するのに、リスタスの両親が選ばれました。長い調査の間に、この地方の
言葉に堪能になっていましたから、それに、この砂漠ではちょっとした有名人でしたから
ね。その仕事の合間を見て、細々と調査をしていたようです。それで、都とまではいえな
いが集落跡のようなものがいくつか見つかりました。そして、いよいよ都は存在しないと
の見方が強くなったとき、これが見つかりました。」
ライオスは、手にした本を開け、
「見てださい。」
「これは、なにか文字のようだが。」
「この文字は、金属の板に彫刻されたものです。翻訳するのにずいぶん苦労したようで
す。辞書があるわけではないので、この翻訳をどうしてやったかは、長くなるので、とり
あえず読みましょうか。」
「ああ、そうしてくれ。」
ライオスは、本に書いてある文字を読みはじめた。
「 目覚めの時は、なにもなく。終わりの初めが、始まる。眠る者もなく、覚める者もい
ない。白の黒も混沌もなく、声なき声が心の震えに応える。
『ゾエオス。ハーコンを呼べ。』
『マルガ様。ハーコンは、彼方の森でコマを探しております。』
『また、奴の遊びが始まったか。奴のことだ、渦が二回転するまで帰るまい。』
『マルガ様。ハーコンのかわりに、クタスを呼びましょうか。』
『うむ、クタスの仕事は終わったのか。』
『はい、果実の道から先ほど帰還いたし、待機しております。』
『では、クタスに向かわせろ。銀の枝葉に光をともせ。』
と、書かれていてある。何かの芝居の台詞ではないかと思われている。」
オンザは、その本を覗きこんで
「バグノラーと、どんな関係があるんだ。」
「これに書いてあることは、直接関係はありません。だが、リスタスの父、モルクス教授
がこの金属の板を発見したのは、砂漠で車が故障して野宿をしたときのことです。教授の
前にバグノラーが現われた。そのとき教授は、バグノラーに導かれて金属の板を発見しま
した。この本によると、教授は穴の中にあったと書いているが、それ以上詳しく書いてあ
りません。」
「どうして、書いてないのかね。」
「私も直接教授に聞いてみました。だが、よく覚えていないと言っただけで、あとは言葉
を濁してしまわれた。何か圧力でもあったのかも知れません。だいたい、考古学者として
は、たいした業績があったわけでもないのに教授になったのですから、なにか裏があると
思いませんか。」
そう言われてオンザは、答えた。
「たしかに、彼の水の都説は潰された。それに、教育係が教授にどうやってなったのか
ね。」
「その説を潰した権威ある学者が、からんでいるのじゃないかと思います。しかし、それ
は、過去のことです。今は、モルクス教授がリスタスに残した遺言を実行するのが、全て
の謎を解くことになるでしょう。」