最終章 白鯨 ムーンベース・セリョウを含めた月にある基地のすべての目と耳は、古代人類 の遺産の動きに息をひそめて無人の探査用月面車から送られてくる画像に注目し ていた。 灰色の水面からゆっくりを頭をもたげた姿は、大型の海洋哺乳類が海面から巨 体を持ち上げるときに似た壮大な絵のように映った。 「まるで白鯨のようだ。」 慎也の隣の席にいた副長が、だれに言うでもなくつぶやいとき、クアドパルの船 体は、後部半分を残して空中に舞い上がった。装飾を一切取り除いた白い船体 は、大気のない月面に容赦なく降り注ぐ太陽光に輝き、新たな生命の誕生を想像 させるような荘厳な姿に見る者は圧倒された。 月面にいる人類全てが声も出さずに注目するなか、その巨大な白鯨は故郷を目 指すかのように星の世界に向かって上昇をつづけた。 「シャトル、クリス。クアドパルを追跡しろ。」 慎也の命令にシャトルの機長が答える。 「もう追跡していますよ。このまま上昇を続けると月の周回軌道から離脱しま す。どうしますか。」 「可能な限り接近しろ、だが注意しろ相手は制御された宇宙船ではない。」 「了解。」 通信係が慎也に言った。 「海兵隊から緊急通信です。」 慎也はクアドパルの映像から目を離さずに通信機の向かって言った。 「なんのようだ。」 通信機から海兵隊の指揮官らしい者の声が聞こえてきた。 「司令官、ずいぶん困ってるようですね。今、地球軌道を離れて月に向かってい ます。我々が必要になっていませんか。」 慎也は、軽く首を左右に振って応えた。 「軍隊が必要な事態ではない。」 「そうでしょうか、異星の宇宙船なんでしょう。侵略者だったらどうします。そ れに、あなたの態度はあまり関心しませんね。もう少し柔軟に対応しないと。」 慎也が通信係に目で合図をすると、モニター画面に海兵隊の指揮官の顔が現われ た。 「これは、どうも司令官。やっと顔をだしてくれましたね。私は、アメリカ海軍 少佐のテリー・ゼラズニイです。」 「ムーンベース・セリョウの司令官大塚慎也だ。そちらの協力的態度には感謝す る。だが、これは軍隊が介入すべき問題ではない。」 「世界一の海兵隊が役にたたないとでも言うのか。」 「当然だろう、相手は我々には真似すらできないほどの技術力で作られた船だ 。」 そのとき、好男の声が通信機から聞こえてきた。 「しんちゃん、聞こえるか。クアドパルのコンピュータが作動をはじめた。操縦 席のモニターに海兵隊の船が映っている。モニター画面の文字は、ええっと。ち ょっとまてよ。ああ、照準固定。攻撃体制完了、となっているな。」 好男の言葉に緊張を少しゆるめた慎也がテリー少佐に言った。 「どうやら、あれが攻撃体制に入ったようだ。どうする、核攻撃だったら。」 しばらくの沈黙の後、少佐が答えた。 「少しようすをみよう、現在の距離を保って追跡する。通信終了。」 少佐との通信を終えた慎也に副長が尋ねた。 「司令官、クアドパルが攻撃してくるんでしょうか。」 慎也は、口元をゆるめて応えた。 「はったりだよ、てっちゃんのね。彼が私をからかうときには、いつも言うん だ。しんちゃん、ってね。」 そう言うと慎也は、好男との通信を再開した。 「てっちゃん、大丈夫か。」 「ああ、マップも元気や。それから、攻撃体制はともかくとして、この船のコン ピュータが生き返った。マップの一声でな。」 「なんだって、マップが何か言ったのか。」 「そうや、あれは鳴き声というより言葉のような感じがした。オンザーってな感 じやったかな。まあ、気のせいかもしれないけどね。」 「そうか、その船の制御はできそうか。」 その時、慎也と好男の交信に何者かが割り込んで来た。 「ハーコン、ハーコン。コノゲンゴデ、イイノカ。ワカルカ、カレラニ。サドウ シテイルナラ、コタエロ、ハーコン。」 まるで幽霊に会ったような事態に好男は、クアドパルの操縦席で凍りついてい た。その交信は、慎也にもはっきり聞こえていたが、正体不明の交信に何も言え ずに、ただ通信機を見ているだけだった。 セリョウの全員が沈黙してしまった中、好男が勇気を出して話しかけてみた。 「こちら、てっちゃん。ハーコンは、いま留守です。どちらさんですか。」 「ダれだ、おマエは。てっチとは、なニモのだ。」 「えらそうに言いやがって、そっちこそだれや。」 「わたしは、オンザ。おまエは、銀の枝の者か。」 「なんや銀の枝って。」 「わからぬ、オンザにはわからん。」 「何を言うてんのや、おっさん。おまえが、オンザやろ。」 「銀の盆の枝葉だ。てつ。」 「おい、その銀の盆の形を言ってみろ、わしが絵に描いてやる。」 「わかった、オンザも絵を描く。だから、言う。準備はいいか。」 「ちょっとまて。」 好男は、席を離れて操縦室の床面にたどりつき、宇宙服の小物入れから無重力状 態でもインクが正しく出るペンを取り出した。 「よっしゃ、言ってみろ。」 「てつ、いいか。中央部は、球体だ。」 オンザから言われたとおりに描きつづけた好男の絵は、中央が膨らみ渦を巻くよ うに枝を出した誰もが知っている形だった。 「なんやこれ、銀河系の姿やないか。わかったぞ、銀の枝が何なのか。そうや、 我々は銀の枝の者や、オンザ。恒星が一つの太陽系、その第三惑星の者。」 「では、エンダーとマイン。たどりついたのか、そして子孫を残したのか。オン ザ、そう言っている。」 「なんや、それ。」 「わかってきた言語。わたしは、オンザ。正確に言うとオンザの記憶を使ってい る。第五惑星が崩壊するとき、捕えた記憶がオンザ。我々は、渦から来た。て つ、が知っている言葉、だと、機械だ。探査機、コンピュータ。先に到達したハ ーコンは、エラーを起こした。修正するために来た。」 「オンザ、ちょっとまて。第五惑星が木星のことなら、崩壊してないぞ。それか ら、この船が探査機なのか。」 「てつ、もう少し待て。言葉を探す。学習する。てつの言語は、オンザの言語と 違う。」 「時間がないぞ、酸素の残りすくないからな。」 「時間、時間、わかった。酸素、あと少し。一年、そうかわかった。」 「なにが、わかったんや。説明しろ。」 「説明、てつ、なにが知りたい。」 「そりゃ、おまえは何時何処から来た。」 「そうか、知りたいか。何時、地球人類の時間尺度で一万二千二百年前。何処、 渦からきた。そう、地球から千五百光年の位置にある。」 「ハーコンっていうコンピュータの大きさと形は。」 「大きさ、大きさ、小さくて大きい。決まった大きさも形もない。そう、生物の 遺伝子に似ている。ウイルス、そうだ。ウイルスの集合体だと考えろ、てつ。光 速にほぼ近い速度まで加速する。そして、恒星間を飛び知的生命体を探す。て つ、最初の質問の答えだ。第五惑星は、火星軌道の外側にあった。地球に似た環 境で、知的生命体の芽がでそうだった。」 「あん、ようわからんな。」 「わからないか、てつは人類の歴史を知らないのか。」 「そら、今から五千年前くらいならわかる。」 「なるほど、だから人類は同じ失敗をする。マルガのいうとおりだった。それな ら、最初から説明しよう。地球人類は二万年前、惑星間航行船を建造し第五惑星 に到達した。そこには、すでに生命が満ち溢れていたが、人類の敵になるような 生命体はいなかった。当時の人類は、その惑星を第二の奇蹟。彼等の言葉でラオ クと名づけていた。そして、ラオクの赤道付近にある砂漠を緑化し新しい街を作 った。 だが、そこにハーコンが現われた。本来は、知的生命体を探すのがハーコンの 使命だったが、長い恒星間の旅はハーコンを狂わせた。ハーコンは、バグノラ ー。そう、てつが抱いている動物だ。それと交信を試みた。人類を無視して。 やがて、マルガがハーコンの故障に気がついたが、すでにラオクの人類の文明 はハーコンの間違った行動によって瀕死の状態だった。さらに、地球では人類ど うしの戦いによって文明が崩壊し、地球人類は原始の状態にもどってしまった。 ラオクの人類は、その未熟な文明を駆使してハーコンの遺伝子をあつめ封印 し、崩壊してしまった文明を捨て惑星ラオクの大地に広がっていった。」 「オンザよ、この船はだれが作ったんや。」 「今から説明するところだ。原始からやり直した人類は、母星より早く文明を再 開した。過去の記憶をなくしたが、強敵がいないラオクで文明が再び花開くかと 思われた。惑星間の旅を再び手に入れようとしたとき、ハーコンが蘇った。そし て、ハーコンが蘇ったのを知ったマルガによって私が派遣された。 だが、遅かった。私がハーコンの残骸を無力化しようとしたとき、人類は自ら 生み出した核兵器でラオクを破壊してしまった。わずかな救いは、クアドパルが 無傷で地球に向かったことだった。」 「オンザさんよ、あんたの話を信用するとして、そのラオクの崩壊を見ていたな らクアドパルが、どうなったか知ってるはずやろ。」 「それは、ちがう。ラオクの崩壊から逃げるのが、精一杯だったのだ。人類を理 解しょうとしたが、崩壊から逃れるために、やむおえずオンザ一人の記憶を取り 込んだ。そして、崩壊によって私の半分が失われた。私の本来の名すら分からな くなった。だから、私はオンザの記憶、人格を利用してシステムを立て直した 。」