最終章

　　　　　　　　　　　　　使者


 
 　好男と慎也が駆けつけたとき、すでに小さな命が産声をあげていた。透明な保育
 器の中に中型の哺乳類が横たわっている。その乳首に親子とは思えないほど毛並み
 も形もちがう小さな生物が懸命に吸い付いている。
 　親のほうはオーストラリア原生の大型の鼠だった。そして、生まれてきたのは未
 知の生物。だが、遥かな時と空間を隔ててもなお、哺乳類特有の母性本能と小さな
 赤ん坊が生まれつきもっている可愛いという能力によって結ばれていた。
 「おお元気やな。」
 「そうだね。本当の親子みたいだ。」
 好男の声に保育担当の小柄で黒い髪を後で束ねた女性が答えた。
 「はい、本当の親子みたいです。」
 「うん、あんた日本人か。」
 「ええ、そうです。鉄橋の向こうへ、読みました。」
 「そりゃ、ありがとう。」
 「司令官の青年時代がよくわかりました。」
 微笑んだ女性の顔は、好男が拾った写真に写っていたマインに似ている。
 「ほう、ふうん。」
 好男は慎也の脇腹を肘で押して、写真と彼女を見比べていた。
 「何か、私の顔に。」
 「いや、美人やな。と、いや、気にしないで。」
 好男の言葉に頬を染めた女性は、
 「そんなこと言われたのは、初めてです。なんて言ったら。」
 慎也は好男の肩を叩いて言った。
 「長沢君、こいつの言うことをまに受けたらだめだよ。いっつもこんなこと言って
 るんだから。」
 「おまえなあ、そんな言い方ないやろ。」
 「なんだよ、メーコさんに言いつけてやる。」
 「あっ、それはないがな。男のやることやないで、正々堂々とかかってこんかい。
 おまえ、それでも司令官か。」
 二人のやりとりに思わずふきだした彼女、
 「こんな司令官の姿、みたことなかったわ。これで、あの本に書かれていたことが
 真実だったことが分かりました。こんどから、しんちゃんって呼ぼうかしら。」
 　そういうと女性は、通路に出て行こうとした。
 「別の仕事が待ってますので失礼します。コマンダー・シンチャン。」
 慎也が、あっけにとられていたので代りに好男が応えた。
 「またね、マイン。コマンダー・シンチャンとわしはもう少しここにいる。」
 「えっ、どうして私の名前を知ってるんですか。」
 驚いたのは好男のほうだった。
 「あんた、マインていうのか。」
 女性は、半分体を通路に出したまま言った。
 「長沢舞、ながさわ、まい。です。」
 「ああ、作家の感や。そんな気がしただけや。」
 舞は軽く会釈をして通路に出て行った。それと入れ違いに美恵子が入って来た。
 「どう、動物の様子は。」
 「動物って。マップって名前で呼んでくれ。」
 「へえ、だれがつけたの。」
 「わしや。」
 「司令官を差し置いて、かってに決めたの。」
 「メーコさん、いいです。遺伝子の元、つまりこの動物と同じ遺伝子をもっていた
 動物の名前か種類の名前がマップということが分かりましたので。」
 「そうや、かってにつけたのと違うで。それに、このマップは遥か彼方からやって
 きた使者や。人類にとって大事な客人になるかも知れない。」
 「てっちゃんの言うとおりだ。マップを観察すれば、あの宇宙船がどこから来たの
 か分かるかもしれない。」

 「マップちゃん、大きく育ってね。」
 美恵子の言葉が聞こえたのか、生まれたばかりのマップは乳首から離れて声がする
 ほうにゆっくりと動きだした。
 「ねえ、こっちに来るわ。言葉がわかる・・・あれっ、保育器に敷いてあるタオル
 に頭を擦りつけてる。」
 それを見た好男は、慎也に言った。
 「コマンダー、この部屋はマップにとって明るすぎるのとちがうか。」
 「そうかもしれない。まだ、マップの生態が分かってないけど。夜行性か幼児期
 は、穴の中で暮らしているのかもしれない。やってみよう。照明、夜間シフト。」
 部屋の明りが落ち、非常灯だけになると、マップはタオルから頭を離して、また動
 きだした。
 「やっぱり、そうやったな。マップは、穴熊に近いのかもな。」
 そのとき、慎也に通信が入った。
 「司令官、京都府警からです。音声のみ。つなぎます。」
 「わかった。」
 「府警本部の大和田警部です。」
 「司令官の大塚です。」
 「司令官、結論から言います。例の舞妓の事件は、風呂の管理装置の故障だと判明
 しました。漏電です。ある時刻になると異常な電流が流れることが分かりました。
 しかし、その原因自体はつかめていません。同型の装置では、そのような故障は起
 こりませんでした。」
 それを聞いていた三人は、遠い昔の出来事を同時に思い出した。
 「慎也、やばいぞ。」
 軽くうなずいた慎也は、警部に言った。
 「警部、その装置をもう少し観察して下さい。それと、舞妓が住んでいた所の周囲
 で時計や他の電子機器が変調を起こしていないか調べてみて下さい。」
 「司令官、それは命令ですか。」
 「これは、お願いです。だめなら、結構です。」
 警部が誰かと相談している声がする。
 「わかりました、司令官。消防が調査を始めたようです。あとは、消防と連絡を取
 って下さい。」
 「どうも、ありがとうございました。通信終了。」