最終章

　　　　　　　　　　　　　　黄昏の雷鳴



 　ムーンベース・セリョウでは、司令官の大塚慎也が地球からの定期便が地下のド
 ー
 ムに収納されるのをモニターで監視しながら、司令官日誌を音声によって入力して
 いた。
 「そうかもしれない、しかし、遠い昔のことだ。１９９７年の出来事は、夢のよう
 な記憶でしかない。あのとき、時計が狂った原因を完全に追求出来なかった。でき
 なかったというより、消えてしまった。」
 そのときモニター画面に見慣れた顔が映った。
 「慎也、おまえなあ、司令官になったら出迎えにこないのか。ええ。」
 慎也は、突然のてっちゃんの声に驚いて、司令官の立場を忘れて答えた。
 「て、てっちゃん。来週のシャトルでくる予定じゃなかったの。」
 「しんちゃん。」
 モニターに映るてっちゃんの後ろから、聞きなれた声。そして、てっちゃんを押し
 のけて画面に美恵子の姿が現れた。
 「お久しぶり、しんちゃん。」
 「メーコさん、一緒だったんですか。これから、すぐに迎えにまいります。」
 「おお、慎也。司令官直々のお迎えか。ご苦労。」
 慎也は、モニターに敬礼をして、司令官室から出ていった。

 シャトルのハッチの外には、長身の若い白人男性が笑顔で美恵子とてっちゃんこと
 三橋好男を出迎えた。その男性は、手招きで自分についてくるように二人に合図を
 して、通路を歩き出した。好男は、窮屈な制服を着せられて少しイライラしてい
 た。
 「みえこ、おもろない場所やな。慎也の好みかいな。それに、この服、なんとかな
 らんのかいな。」
 「あなた、失礼よ。着いたばかりで、そんなことを言ったら。」
 と、美恵子が先に歩く係員に気をつかって言った。
 「大丈夫や、どうせ日本語は、わからんやろ。」
 突然、係員が立ち止まり振り向いて、好男が知らない言語で話し出すと、好男の制
 服の肩から日本語が流れてきた。
 「失礼しました。シャトル内で説明されなかったようですね。この制服は、翻訳機
 能を備えております。」
 「はは、こちらこそ失礼した。気にしないでくれ。」
 「てっちゃん、おまたせ。」
 慎也が、通路の角から息を弾ませて姿を現した。
 「おお、久しぶりやな。慎也、元気にしとったか。」
 慎也と好男は、肩を叩き合い、再会を祝った。そして、美恵子に慎也が言った。
 「奥様、ごぶさたしておりました。」
 「奥様って、メーコでいいのよ。」
 「はい、メーコさん。部屋には、私が案内します。」
 慎也の合図に係員は、軽くうなずいて今来た通路を戻って行った。
 「慎也、ここは殺風景やな。」
 「てっちゃん、しょうがないよ。飾りに使う予算がないんだ。」
 「そんなに厳しい財政なんか、宇宙艦隊は。」
 「艦隊って、軍隊じゃないよ。火星開発局、と言ってよ。」
 「ええやないか、宇宙艦隊のほうがかっこええ。それに、火星開発局とかいいなが
 ら、まだ火星に人類が行ってないやないか。月の地下をほってるだけやないの。い
 つになったら、赤い星に行けまんのや。司令官。」
 「あいかわらずだね、てっちゃん。安心したよ。」
 美恵子が、慎也に向って言った。
 「まあね、事故にあったときは、もうだめかと思ったわ。よく、半年でここまで戻
 ってくれたわ。」
 「そうだよ、てっちゃんは不死身なんだ。昔から。」
 そして、あるドアの前に付いた慎也は、ドアに向って言った。
 「司令官大塚慎也。開けろ。」
 横にドアが動きだし、部屋の灯かりが次々と点灯した。さらに、大きな窓が開きガ
 ラスの向うに見える月の地平線上に青く輝く地球の姿があった。そして、地球の淡
 い明暗境界線では、稲妻の光が見えていた。
 「まあ、なんて奇麗なの。あの、チカチカしているのは。」
 「メーコさん、あれは雷です。」
 「じゃ、雨ね。あの下では雷がなっているのね。」
 好男が窓に近寄り、明暗境界線のあたりを指差して言った。
 「ここらは、日本やな。健司のやつ、いまごろ雷が恐くて泣いてるのとちゃうか。
 てっちゃ〜ん、って。」
 少し間をおいて、三人は若い頃のように大声で笑い出した。


 「ああ、雷だ。どこかに入ろう。」
 健司は、大きな体を縮めるようにして言った。夕暮れの京都御所は、寒波の影響で
 冷たい風が吹き始め、雪下ろしの雷鳴が黄昏に響き、本格的な冬の到来を告げる。
 健司の横には、普段着の舞妓が不機嫌に歩いていた。
 「あんさんが、散歩したいって言わはったんやないの。もう、こうさんどすか。」
 「まあ、そう言うなよ。まさか、冬の京都がこんなに寒いとは思わなかったんだ
 。」
 舞妓は、北の空を見上げながら言った。
 「冬は寒いと昔から決まってます。寒いのやったら、走りましょか。」
 そういうと、舞妓は御所の玉砂利を走りだし、
 「ほな、先に行ってまってます。」
 返す間もなく舞妓の姿は、どんどん小さくなっていった。
 「あの娘は、トライアスロンの選手だったな。ああ、寒い。せっかく見舞いに来た
 のに、肝心のてっちゃんは退院して月に行ったっていうし。」
 健司は、暗くなってきた空を見上げて言った。
 「てっちゃーん。」
 そのとき、健司のコートの内ポケットから、メッセージが着いたことを告げた。
 「うん、だれからだろう。」
 健司は、ポケットから直径が五センチ厚みが八ミリほどの黒いものを取り出して言
 った。
 「受信。」
 黒いものから、音声がきこえて来る。
 「発信元、火星開発局。発信人、三橋好男。」
 それを聞いた健司は、嬉しそうに言った。
 「てっちゃんだ。再生。」
 「健司、元気か。あいかわらす、どんくさいのお。おまえのことやから、今ごろ舞
 妓にふられて泣いてのんやろ。二週間ほど月におるからな、地球に帰ったら、おま
 えの店に寄る。また、な。」
 「返信しますか。」
 通信機の問いかけに健司が、
 「てっちゃん、退院したならそう言ってよ。僕だって忙しいんだから、やっと休み
 を取って来たのに。じゃ、二週間後に待ってます。」
 通信機をコートにしまいこんだ健司の肩に雪が舞い下り、寒さをいっそうつのらせ
 る。
 「ようし、久しぶりに走ってみるか。」
 そう、自分に言った健司は巨体をゆすらせながら玉砂利の上を走り出そうとした
 が、運動不足と太り過ぎた体は玉砂利を蹴った瞬間に前のめりに倒れてしまった。
 「いてぇ。」
 思わず大声を出した健司に御所の警護隊員が駆け寄ってきた。だが、その警官は、
 さっきから健司と舞妓の姿を見ていたので、目が笑っていた。
 「だいじょうぶですか。救急車を呼びましょうか。」
 と、言って健司を立たせようとした。
 「冗談じゃないよ、そりゃ、ふけてみえるかもしれないけど。私は、まだ四十前な
 んだから。いいよ、ありがとう。自分で立てるから。」


 慎也の居室では、好男が腕組みをしながら窓に見せかけた壁掛け式のモニター画面
 を見ていた。
 「慎也、ここに来て二日たったけど、わしらを呼んだのは基地を見学させるためや
 ないやろ。基地の司令官が、宇宙開発に関係ない作家になにをさせようというの
 や。」
 慎也は、アルコール抜きのワインを飲み干して、静かに話しはじめた。
 「この基地は、月の資源開発のために設置された。これは、知ってるよね。火星に
 行くための準備基地であるセリョウは、地下資源の探査と採掘が主な仕事だけど。
 今から半年前、採掘中にあるものを発見したんだ。」
 好男は、窓から慎也に目を移して言った。
 「あるもの、そんなめんどうくさい言い方をすんな。おまえとわしの中やないか
 。」
 「わるかった、巨大な金属のタンクを見つけた。」
 「タンク、水をいれたりするタンクか。」
 「ああ、そうだよ。最初は、タンクだと思った。でも、採掘をはじめると、それが
 居住空間だとわかってきた。」
 「それは、だれが作ったんや。」
 「まだ、そこまでは、わからない。わかっているのは、そのタンクが造られたの
 が、数千年から一万年前らしい。この基地の地質調査班が、そう言っている。」
 好男は、慎也の言葉に耳を疑った。
 「おいおい、健司ならともかく、おまえからそんな話しを聞くとは思わなかった
 な。まあ、おまえがいうのやから事実なんやろう。」
 「そこで、あるもの。いや、記録が見付かったんだ。もちろん、我々が知らない言
 語の記録だったけどね。」
 そのとき、慎也の部屋に緊急通信が入った。
 「司令官、地球から電話です。相手は、藤原悦子。つなぎます。」
 慎也が、壁に向って、
 「はい、司令官の大塚です。」
 と、いうと壁に少女の面影を残した若い女性の顔が映った。
 「すみません、慎也おじさん。」
 「どうしんだい、こんなところまで電話をしてくるなんて。」
 「じつは、父が逮捕されました。」
 「なんやて、えっちゃん。」
 「ああ、てっちゃんもいたの。逮捕っていうか、殺人事件の重要参考人として京都
 府警に連れていかれたらしいのです。」