第二章



                                       序詞

　朝に向かう流れは、昨日の夢の中へ飛び込む。黒の白は、明るみに現れる。
目覚し者よ銀の盆を回せ。眠る者を起こせ。心に震える糸の先に明りを灯せ。

「クタス、よく聞くがいい。」

「何者だ。」

「私だ。」

「ハーコンでは、ないか。コマは、見つけたのか。」

「ああ、だが見失った。手を引けクタス。」

「マルガ様の命令か。」

「いや、おまえの枝葉の光が邪魔だ。」

「灯したばかりの火を消せと言うのか。」

「渦がもう一回りするまででいい。」

                                                砂漠

　彫刻家のオンザが選んだ場所は、砂漠の真ん中にある小高い丘の北斜面なので丘の日差しを遮って
くれる比較的涼しい場所だった。砂漠といっても丘の近くを走るハイウエイを、自動車で東に二時間
も走れば町に着く。
　昼食をすませたオンザは、昼寝をするために斜面に掘った穴に入ろうとしていた。その穴は、幅二
メートル奥行き四メートル高さ二メートルで、人が一人生活をするのに十分だった。
　入り口は、宇宙飛行士が着る下着をつなぎ合わせたカーテンで閉じられていた。動力は太陽光発電
パネルで得ており、太陽光が有り余る砂漠では、オンザ一人の生活を支えるのに十分だった。
　水は地下百メートルまで掘られた井戸から、電気ポンプでくみ上げて使っていた。この砂漠は、年
に一度、一週間ほどの雨期があり、そのときの雨が地下に吸い込まれて残っている。人力でくみ上げ
るのは困難だが、機械を使えば水には困らない。
　中年から老年にさしかったオンザの体は、この太陽光発電装置がなければ、耐えられなかっただろ
う。穴のなかは、常に気温二十五度に保たれていた。クーラー、冷蔵庫、テレビに電話、壁が岩でな
ければ、ここが砂漠だと思えないほど設備が整っていた。電話の他に緊急用の無線機まで用意されて
いる。

　この生活は、創作活動には絶好の環境で、邪魔もなく生活の不便もない。たまに、この丘から三百
キロ離れた宇宙船発着場で訓練を受けている息子のエンダーが電話をしてくる他は、だれもオンザの
生活に影響を与えなかった。
　オンザが、穴の中のマットの上に横になると電話が鳴った。
「ああ、誰だ。なんだ、ロケットの運転手か。まだ、地上にいたのか。」
「父さんこそ、いつまで砂漠にいるの。」
「もう少しだ。まだ、作品の基礎が出来ただけだ。」
「しょうがないな、今日の夜、町まで行くけど、なにか欲しい物がある。」
「欲しいものか、孫だな、孫の顔が見たい。」
「それは、姉さんに言いなよ。」
「エンダー、もういいか、これから昼寝だ。」
　オンザは、電話を一方的に切り眠ってしまった。
　夕日が沈むころまで眠ったオンザは、冷蔵庫から水筒を出して一口水を飲むと穴の外に出た。作業
は、暑い昼間を避けて夕暮れから翌朝の七時ころまで、休憩を取ったり仮眠しながら続いた。岩を切
り、それをまた削り、毎日単調な作業の繰り返しだったが、オンザの頭の中にある作品に確実に近づ
いていた。
　特製の水圧式掘削機は、惑星探査機に装備される予定の物だったが、その掘削機が開発された直後
にレーザー式に計画が変更になり、水圧式掘削機は廃棄され、基地の倉庫に眠っていたところを、エ
ンダーがオンザのために借りてくれたものだった。
　探査用には、不十分だったが彫刻に使うには、その機械は有り余る性能を出していた。固い岩をま
るで、電気のこぎりで木を切るように切ってしまう。オンザには、その掘削機の仕組が分からなかっ
たが、使い方はいたって簡単で、マニュアルも見ずに使っていた。
　掘削機本体は、人が一人入れるほどの貯水槽とポンプで出来ており、一人で持ち運ぶのは無理だが、
作業機の方は肩に担げるテレビカメラほどで、本体から延びた樹脂繊維のパイプと繋がっている。
　オンザが作業機を三脚に固定し目標の岩肌に照準を合わせ、水圧を最強にしてスイッチを入ると作
業機のノズルから糸のような水が岩に向かっ発射された。
　ものの数秒で、自動車ほどもある岩が剥がれて倒れた。さらに、その倒れた岩を一辺が二十センチ
の立方体に切り分けた。そして、その小さな岩の立方体の中で気に入ったものと気に入らないものに
分ける作業に取りかかった。この時間は、オンザにとって最も楽しい一時である。自然の岩の断面は、
いろんな表情を見せる。同じ岩から切り取っても、少し位置が変わると違う表情を見せてくれる。

　作業が一段落すると、次の岩を剥がすために作業機の位置を変えて、照準を合わせようとしたとき。
突然、本体から異常を知らせる警告音が聞こえた。オンザが本体の操作パネルを見ると、水圧異常と
水温九十度の表示が出ていた。そこで、タンクの蓋を開けてみたが、湯気が出ることもなく、常温に
感じられた。ゆっくりとタンクの中に手を入れてみたが、普段と変わりない温度だった。

「機械が、壊れたか。まあ、いいか。」
　と、オンザは独り言うと作業機に取りかかり、照準を合わせてスイッチを押した。
いつもなら、糸の様な水が出るのだが、このときは作業機が機関銃のように水を打ち出した。慌てて
オンザが、スイッチを切ろうとしたが、反応がない。断続的に打ち出される水が、岩肌に深い穴を作
っていく。
　オンザは、本体に走っていき電源のスイッチをオフにしが、それでも止まらなかったので電源コー
ドを引き抜き掘削機を止めた。そして、穴に戻りエンダーに電話を入れた。
「エンダー、機械が壊れた。どうしよう。」
「えっ、父さん何をやったの。」
「なんにもやっとらん。」
「そんなことないでしょう。分かりました、明日の朝、見に行きます。」
電話を切ったオンザは、電源を切られて動かなくなった掘削機に声をかけてやった。
「我が友よ、しばしの我慢じゃ。夜が明ければ、息子が医者を連れて帰って来るだろう。岩が我らを
待っておる。早く元気になっておくれ。」
　そう言うと、オンザは穴に入り朝が来るまで横になることにした。砂漠に来てからもう二週間にな
る。砂漠に来て二週間、休むことなく作業に取り組んでいた体は機械の故障による思わぬ休養に反応
していた。思わぬ休憩に気が抜けて、体のあちこちが疲れていることに気が付いた。年齢から来る衰
えを感じていたオンザは、今回の作品を最後の大作と心に決めて、無謀とも思える大計画に乗り出し
たのだった。彫刻家として、多大な評価を受けていたオンザだったが、自分を感動させるに足る作品
を作っていない。そこで、オンザは誰もが近づくことを嫌う砂漠に作業場を選び、一人で心おきなく
創作に専念した。
　本来なら助手を使うのだが、掘削機のおかげで一人で作業を進めることが可能になった。
穴の入り口からは、照明に照らされた立方体の山が見え、その向こうに一番星が昇っていた。オンザは、
子供のときに読んだ絵本を思い出していた。その絵本は、一番星にも人が住んでいてこっちを望遠鏡で
見ている。だが、遠くて見るだけでこっちまで来ることができない。こっちの人間も同じで向こうに行
くことができない。そこで、それぞれの住人が砂漠に巨大な文字で手紙を書いた。
　それから、どうなったか忘れてしまったが、オンザの作品は、その話しを実現させようとしていた。
それは、やがて宇宙に出ていく息子に宛てた、史上最大の手紙になるはずだ。だが、そんなことは息子
には話していない。父からの手紙は、昔から子供が旅立ったあとに読むものだから。

　いつのまにか眠っていたオンザを起こしたのは、垂直離着陸機のたてる爆音だった。丘の斜面から垂
直離着陸機の影が未完成の作品にかかると砂煙が上がり、銀色の機体がゆっくりと着陸した。砂煙の中
から長身の若者がヘルメットを片手に現われオンザの穴に向かって声をかけた。
「父さん、寝てるの。所長もいっしょに着たんだ。挨拶したいって。」
　穴から出て来たオンザを、息子のエンダーと見慣れない中年の男が迎えた。
「これは、先生。はじめまして、以前から先生の作品には感服いたしておりました。私、ロケット発着
基地の所長をしておりますカエンと申します。」
　オンザは、予期しない訪問者に戸惑いながらも、
「ああ、はじめまして、息子がお世話になっているようで。さあ、ここは暑いですから、穴に入って下
さい。機械は、エンダーが何とかするでしょう。エンダー、後は頼むよ。所長さんにお茶でも飲んでも
らおう。」
　エンダーは、所長に敬礼をして掘削機に向かった。カエンは、高名な芸術家に少し緊張しながらオン
ザの穴に入り冷たいお茶を渡された。
「エンダーは、真面目にやってますか。」
「はい、成績も優秀、いつでも宇宙に出られるでしょう。」
「そうですか、それはいつ頃でしょう。」
　カエンは、しばらく考えてから答えた。
「まだ、本人にも伝えてないのですが。二年後に予定されている計画に入ると思います。もちろん、こ
れは内密にお願いします。先生だからお話ししましたので、芸術家は、口が堅いと聞いております。」
　オンザは、笑みを浮かべて言った。
「所長さん、こんなところ、誰も話す相手なんかいませんよ。そうですか、二年後ですか。ゆっくり、
間に合うだろう。」
「間に合うって、なんのことです。」
　カエンが、そう言ったときエンダーの穴の外からエンダーの声がした。
「父さん、どこも悪くないよ。」
　カエンは、穴の外に出てエンダーに言った。
「コントロールパネルを持って来てるだろう、とりあえず交換してしまえばいい。また、悪くなると
先生がお困りになる。」
「所長、それは命令ですか。」
「もちろんだ、責任は私が持つ心配するな。」
　オンザが、カエンの傍に来て礼を言った。
「所長さん、すみませんね。そんなことまでしてもらって。」
「先生、気にしないで下さい。どうせ、あんなコントロールパネルなんか基地にいっぱい転がってい
ます、一つや二つなくなってもわかりません。」
　エンダーは、一時間ほどかけてコントロールパネルを交換し、作業が終わると休憩もしないで出発
しようとした。
「なんだ、もう帰るのか。ゆっくりしていけばいい。」
「だめだよ、いくら所長と一緒だって限度がある。僕にも部下がいるんだから。」
　カエンは、オンザに小声で言った。
「先生、また来ます。今度は、もっと時間を取りますので、なにしろ今日は急だったもので。では、
失礼します。」
　エンダーは、垂直離着陸機の爆音とともに帰ってしまった。オンザは、エンダーの宇宙行きが二年
後とわかり、久しぶりに家に帰る気になり、電話機を取って妻の待つ家に番号を合わせが、電話は通
じなかった。ためしに他の番号に合わせてみたが、まったく通じなかった。
「今度は、電話機か。」
　そう、つぶやくと無線でエンダーに電話の故障を伝えたが、電話機の故障くらいで宇宙飛行士を呼
びつけるのも悪い気がして、街の電話会社に自分で行くことにした。

　オンザの車は、屋根に太陽光発電パネルを敷き詰めてあり電気モーターで動く。砂漠で太陽光には
事欠かないのと、なにより静かなところが気にいっていた。
車に壊れた電話機と無線機を積み込み、百二十キロ離れた町を目指して走り出した。
　真直ぐに続く道路を走っていると聞こえるのは、車が風をきる音とタイヤと路面がこすれる音しか
聞こえない。砂漠の一本道は単調で遥か彼方まで見渡せるが、それがかえって目的地までの距離を遠
く感じさせた。
　しばらく走っていると、道路から離れた場所に緑が見えた。それは昔、そこにオアシスがあり小さ
な村があったところで、現在の町が出来るまで旅人に休息を与えていたが、今では廃虚になってしま
っていた。エンダーの忠告で、オンザの砂漠入りは夜だったから、この廃虚を今まで知らなかった。
　そのささやかな緑に引き寄せられるように、その廃虚に向かって車を向けた。
廃虚の建物は、長年の風化で中まで砂が入ってしまっていた。廃虚と比べて自然の植物は、小さな池
の周りで生き生きと枝や根伸ばし、砂漠に敢然と立ち向かっていた。
　その木や草に誘われるように車を降りると、太陽が背中を焼き汗が噴き出す。たまらず池に向かっ
て走り、服を着たまま飛び込んでしまった。
　池は思ったより深く、底に足がなかなか着かない、オンザは泳げるが、予想外の深さに動揺し、
ただもがくだけだった。溺れた経験のない者が、初めて溺れることを知り体が自由に動かない。この
まま死ぬと思ったとき、左手に何かパイプのようなものに当たった。それが何であれ夢中でつかみ、
体が沈むのを止めた。すると、今度は足が同じような物体にふれ、オンザはそれを力いっぱい蹴って、
水面に顔を出した。
　池から上がったオンザは、咳こみながら這いつくばって車の中に入りシートを倒して肩で息をしな
がら自分の愚かさを反省した。
　深呼吸を何度か繰り返し呼吸が整うと車を走らせようとしたが、エアコンは作動しているのに動力
モーターが全く動かない。 さきほどの溺れた経験にオンザは落ち着くことを自分に言い聞かせ、エア
コンの作動も含め全ての装置を切り基本操作を口に出しながらやり直した。
「キーを入れる、ブレーキを踏む。キーを回す、シフトレバーを前進に入れてからレバー上部のボタ
ンを押す。そして、スピードメーターのランプが赤から緑になり。」
　だが、ランプは赤のままだった。スイッチを何回か押してみたが、発進可能を示すランプはつかず、
アクセルを踏んでもモーターの反応がなかったので、バッテリーの残量計を見たが残りは十分にあった。
特に車に詳しいわけではないが、モーターを見ようとドアを開けたオンザの目に映ったのは、ボンネッ
トに前足をかけて車の中を伺う小動物の姿だった。
　 その動物は、体調が五十センチほどで砂漠と同じ色をしており、尾のない大きいリスのようだった。
それは、オンザを見ても逃げる様子もなく、そろそろと近寄ってきた。オンザは、その動物を抱いてみ
たが、それは昔からオンザを知っているかのようになついてきた。その動物を抱いて車の中に入いり、
非常用の水が入ったボトルから手の平に水を移し、それを動物の口にもっていってやると、それは舌で
オンザの手から美味しそうに飲んだ。
　その動物は、手の平の水が無くなると、オンザの膝からハンドルの上に上りオンザの顔をなめようと
して体を伸ばした。そのとき、片方の後ろ足がハンドルから外れて、シフトレバーのボタンの上に足が
乗ってしまった。
　そして、ハンドルから落ちそうになるのを、オンザが抱きかかえて助けてやり、ゆっくりと助手席に
乗せてやった。そして、オンザが普通の乗車姿勢に戻ったとき意外なものが目に入った。それまで、赤
くなっていた発進可能ランプが緑にかわっていたのだった。
　オンザは、助手席に座っている動物に向かって言った。
「これは、おまえが直したのかな。そうか、わしを助けにきたんだな。もう一人、頼りになる息子、い
や孫ができたようだ。これから町に行くが、一緒に来るか。好きなものを買ってやるぞ。」
　そして、アクセルを踏んで廃虚を後にし、町に向かって再び走りだした。しばらく走っていると、無
線機からから受信をしらせる電子音がしたので、応答するとエンダーの声が聞こえた。
「父さん、電話局に聞いてみたけど、他からの苦情は入ってないから電話機の故障だろうって行ってた
よ。町にあるサービスセンターに持っていけば、直してくれるんじゃないかな。」
「もう、町に向かっとるよ。それに、孫もできたしな。」
　少し間をおいてエンダーが、答えた。
「なに、孫って、説明してよ。」
　オンザは、廃虚であったことをエンダーに説明すると、エンダーが笑って言った。
「なんだ、それは衝突防止装置が作動したんだよ。その動物にセンサーが、反応したんだ。前に説明し
ただろう、基地内の車に装備されている物を付けたって、それじゃ切るよ。」
　エンダーの説明に少しがっかりしたオンザだったが、その装置のおかげで孫と出会えたことを考える
と息子の思いやりに感謝した。